2010年9月30日木曜日

浮き腰外交の菅

腰に絡む日本語が多い。
腰を割る、腰を据える、腰を入れる、二枚越しなどは強いものの喩えで、一方で弱腰、腰砕け、腰を抜かす、浮き腰など弱い代名詞もある。

ブレ菅とはこれまでの菅の代名詞であったが、加えて「浮腰の菅」も言い当てて妙の代名詞だ。

今日の国会答弁で、菅は中国側の対応を「わが国の国内法にもとづく粛々たる手続きを認めない姿勢があったことは大変問題があった」と言ったとか。
一方で、地検が船長を処分保留で釈放したことについて、「検察の独自の判断で適切だった」とも言っている。

なんというのかな、言葉って思想だし、思考表現なので、この一連の発言を聞くと、この人何が言いたいの?馬鹿?となる。面々と連なる思考の連鎖などなく、ある瞬間の局所的な面だけを見て、発言しているからおかしなことになる。

当初から、菅は「わが国の国内法にもとづき粛々たる処理を進める」と言っていた。この意味は、今回の事件は日本国内で起きた事件で、国内法に照らし合わせて、法に抵触する行為があったので、拘留し調べる」という論理だ。ここまでは筋が通っている。しかも地検は拘留延長を決めた。これは司法の視点で見て、「法に抵触する行為に偶然性ではなく、計画性を見出し、これを立件する」ために延長すると言う意思表示だ。ここまでは粛々と進んでいる。

そして、問題発言である、「国内法にもとづく粛々たる手続きを認めない姿勢の中国」非難発言だ。これは司法が粛々と国内法に照らして判断し処理を進めてきたプロセスが、頓挫せざるを得なかったことを認めた発言である。
一方で、不起訴処分でもない処分保留を司法的根拠も明確にせずに行った事に対して、「検察の独自の判断で適切だった」とさえ言った。
検察は法に則って判断する立場にあるのだから、粛々として進めたプロセスと釈放「検察の判断」との間に大きな論理の飛躍があるのだが、菅の頭の中ではその矛盾に気が付いていない。

一貫性がないから、中国外交をどのようにしていきたいのかがまったく決められていないなか、国内に対しても、中国に対しても、腰の据わった論理が展開できていないし、将来の関係図のイメージがテーブルに載ってこない。

こんな状態で、思いつきで来週ヨーロッパに言って来るとは、ますます何しに行くの?となる。

稚拙な思考レベルなため、二枚腰の外交が出来ていない。船長釈放は私は否定しないが、思考・行動に一貫性と知略性と強かさがないのが問題なのだ。

こんな浮腰菅は日本を本当に沈没させる。

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