2010年9月4日土曜日

菅氏の偽装政治を暴く

このブログのテーマは菅直人の政治が偽装政治であることを皆さんとみることである。

今の日本が抱えている諸問題は、整理すると
① 硬直化した社会構造
② 老齢化の人口構成
③ 筋肉質でない教育
④ 内向きマインドの企業
⑤ 自立独立性が欠如した外交
などに起因しているだろう。

これらの問題の根底には、「官僚主導の政策立案と形骸化した政治家」があると、これまで指摘されてきた。
また、移ろいやすい世論を操作し、それを背に正当性を標榜する、ポピュリズムを利用した「劇場型政治」もこれらの構造問題の本質から目を逸らさせてきた。

昨年の衆議院選挙では、その修正を謳った民主党が勝利したわけだが、あれから1年が経ち、政策実現の凸凹という近視眼的な視点でなく、国のリストラという小手先でない太い変革がどういう状況にあるか、厳に民主党は見つめなおすべきである。

その目で現首相である菅氏の言動を先の参議院選挙活動、そして昨今の代表選挙での活動で追跡してみると、太い変革を推し進める政治家とは程遠い姿が浮き上がってくる。

1. 移ろいやすい民衆感覚・感情を世論と読み違えて発言がぶれる、信念の無い政治家。
具体的には、
(ア) 10%消費税の議論で、数字の根拠を自民党案に便乗することによりいつでも逃げられるようにする姑息さ
(イ) 風当たりが強くなると、弱者への配慮と称して還付を言い始め、しかも思いつき発言を繰り返す覚悟のなさ
(ウ) 代表戦に向けた新人議員への政治姿勢説明会で、3年後の衆参同時選挙などを口走る、戦略性のなさ
(エ) そして目指す変革の道筋を具体的に示せずに、ただ3年やりたいという無策さ

数え上げたらきりが無い。

2. 首相の座を競う代表選選挙活動で、首相の座、継続の『正統性』を、移ろいやすい民衆感覚に訴え、市民活動の延長の民主主義で埋め合わせをしようとする政治家としての勘違いと、小泉型ポピュリズムを否定した過去との自己矛盾に気づかない政治家。
つまり、一介の市民運動家から脱皮できていない器の小さい政治家。
例えば、
(ア) 代表戦がスタートする前、思いつきと小手先の政治活動として中小企業現場視察に行ったり、市民との対話をしたりと、マスコミ受けとパフォーマンスのみに頭を使い、腰の据わったゆるぎない政策実行・提案が出来ていない。
(イ) これらが見透かされて円高が止まらない。本質的な問題解決策を模索できない。

3. 「政治と金」の裏返しでクリーンさを訴えるあまり、政治手法を矮小化している政治家。
具体的には、
(ア) 3人寄れば文殊の知恵でもあるが、同時に政治が必要になるのが現実である。全て奇麗事で済むなら政治は不要である。「理」は必要であるが「利」も絡んでくる。政治はそもそも泥臭いものである。野党なら言うだけなので泥を被る必要は無いが、政府与党になっても、依然として泥にまみれた覚悟ある政治が出来ていない。クリーンな姿を訴えるあまり、逆に純粋培養的な器の小ささを露呈している。(イ) ひ弱さを外交でも見透かされて、対中国レアメタル交渉や対米経済交渉で行き詰まっているにも拘らず、強かな交渉を指示できていない。

以上は菅直人の本質をあぶりだす一例であるが、はっきり言って昨年国民が託した変革の担い手としては小さすぎる。所詮野党の党首止まりである。

このような菅直人を、頭のいい、しかも太い精神を持ち合わせている前原氏や蓮舫氏が推挙する理由が分からない。もし小沢怖しで動いているならまちがいで、むしろ小沢氏の中に飛び込んでいって、どろどろと変えていくべきだ。今の国難に対処できるのは小沢一郎だろう。彼にはどくどくしさがあるが、それは見かけのクリーンさだけで生きてきたわけではないことの証しでもある。
国民も、自らの生活でどろどろとした局面を実際に経験しているであろうし、「利」で動いている己の姿も知っているであろう。
今の日本に必要な政治はクリーンだけでいいのか、しっかりと考えるべきだ。

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