2010年1月18日月曜日

平和呆けしたマスコミ!?それとも闇の宣伝資金?

小沢幹事長を取り巻く形でニュースの渦が回っている。
昨今は政治資金規正法の話からボルテージアップして、ゼネコン裏金による土地購入疑惑の話に拡大されて喧伝されている。
この社会現象を見ながら、つくづく国民は騙されているなと強く感じる。

孔子先生の論語に「先生がいわれた、古いことに習熟してさらに新しいこともわきまえてゆくなら、人の師となれる」という一文がある。温故知新として有名である。
国民もマスコミも孔子先生のこのお言葉を今一度かみ締めてみる必要があるのではないだろうか。

まず現在マスコミ各社がこぞって報道している内容は、何処の報道機関を取り出してもまったく同じだ。これはニュースソースが一つということを意味する。ということはニュースソースの信憑性を検証する手段もなく、また検証しようともせず、思考停止状態で、正しいと脊髄反射して、垂れ流しているということになる。そのニュースソースこそ検察であろう。

そして、知的怠惰に陥った報道機関ほど罪が深く、そして質が悪いものはない。何故ならマスコミニュケーションという公器の持つ暴力的側面を振り回しているからだ。

ここにいい例えがある。帯刀するものに侍の心得として、武士道というものがある。これは刀の持つ暴力的な面を御する人間の心を磨くものである。しかしどうだろう、視聴率という資本主義の物差しだけで編集が決まっていく昨今の報道機関に、公器を御する心構えというものがあるのだろうか。

リーマンショックで明るみにされた、一部の金満家が公的存在の金融機関を私利私欲のために使い、巨万の富を手にして逃げた社会現象に、怒りを集中させたように、公器でありながら偏向した資本主義のもとに操作される報道機関に対して、同じような怒りを何故ぶつけないのだろうか。

私は小沢一郎は嫌いだ。しかし、一連の報道から、検察の作為が浮かび上がってくる。これは恐ろしいことだ。検察がリークして世論操作している内容を見るに付け、司法という善人の仮面を被り、裏で悪をやる姿が浮かび上がってくる。慈善家を装うマフィアのように。
何故そのように感じるかというと、1/15の段階では、土地購入資金の4億円そのものが、土地代金支払い時期と銀行から融資を受けた時点の時間差の不合理性を根拠に、全てが不正であるかのような報道を仕向けた。
しかし、小沢一郎が、金の出所の金融機関情報を全て検察に出したと言明したらやおら、3億円強の金が小沢の個人資金から出ている事を認める情報を流している。
明らかに報道内容の信憑性が疑われる事実が露見し始めている。

このように考えてくると、検察の作為は何か?という大きな疑問が湧く。そして、推理作家風に言うなら、まさに官僚の逆襲が検察の衣纏って顔を出してきたということだろう。法という誰もが信じ込んでしまうトリックを巧みに使い、そして、黒い衣服を纏ったあたかも正義の執行人のように肩で風を切って家宅捜査する映像を一方的に流して、通常国会を紛糾させて政権運営を頓挫させて、再び官僚の春を取り戻そうと企んでいるのだろう。

国民は「竜馬」に続け。