2009年10月24日土曜日

日本郵政次期社長に期待する

日本郵政次期社長に斎藤氏が内定した。元大蔵事務次官経験者を日本郵政会社のトップに招聘する人事を巡り、報道機関や野党からは官僚の天下りでは無いかとか、旧郵便局業態へ先祖帰りにならないかという指摘や人事への非難がある。確かに官僚が民間企業や法人などに職を得るという字面をもって「天下り」と定義すれば、その通りであろう。しかし「天下り」の問題を考える際、何故「天下り」の規制が必要なのかという議論の本質を我々は忘れてはならない。報道機関も野党もこの重要なポイントを見失った論を展開しているから、深みの無い議論に終わっている。いやもしかしたら自民党は今もって、何故「天下り」が問題なのか分かっていないのではないか。

そもそも天下りの問題は何処にあるのか。一言で言えば、官僚が天下りと渡りを繰り返すことにより「国民の税金」から多額の給与と退職金を累積して「不透明」に懐にできる構造にある。天下り先のOB在籍の独立行政法人と公益法人には、特別会計および一般会計から巨額の国の補助金が予算化されている。つまり「理」と「義」に反した税金の流れと「天下り」が結びついた時に始めて問題となるのだ。
ところでこの税金の不透明な流れは、50年以上に亘る自民党一党独占の政治体制のもとで育まれてきた構造である。そこには自民党の族議員と官僚と業界とで構成する癒着したトライアングルがある。癒着構造のもと「国民の税金」が自民党の政治資金に、あるいは官僚の「天下りと渡り」で累積する退職金に、そして自民党税調下での業界への租税軽減措置に化けて消えていく。この闇の成金マシンに組み込まれた天下りこそが問題なのだ。
裏を返せば闇の成金マシンシステムが無ければ、官僚が法人団体や民間企業に転出しても「天下り」が「悪」という構図にはならないはずだ。民主党の目指す「政治・行政改革」の一つは、闇の成金マシンシステムを解体することで、加えて税金が「不透明」に蒸発していないかを監視をすることだ。民主党政権下では、「天下り」の議論の土俵が自民党時代のそれとは質的に異なってくるのだ。官僚が企業のトップに就いても自民党時代に成り立った「天下り」イコール「悪」は成り立たない。この違いも分からずに、報道機関や野党は、「天下り」イコール「悪」という短絡的な議論をしている。今朝の“ウェークアップぷらす”TVでも、読売新聞 橋本氏、自民党 石破氏、それから竹中平蔵の各氏が民主党の野党時代の対「天下り」方針と今回の日本郵政会社での人事の違いを、日銀総裁同意の一件を引き合いに出して、違いを説明しろと言っていたが、既にしてまったく土俵が異なっているという認識がない。報道機関が薄っぺらの議論を演出するから、日本の政治が非常に薄っぺらなものに落とし込まれている。いい加減、このような低レベルの議論、報道に終止符を打たなくてはならない。

むしろ視点は、次期社長に内定の斎藤氏の実力とコスト・パフォーマンスを見ていくべきだ。そもそも当時の郵政民営化の本質は竹中平蔵がアメリカの金融業界の要求に応じる形で当時340兆円あった郵貯マネーを米国に開放したことであった。マネー資本主義とも称される新自由主義の風を強くしたわけだ。今回の郵政民営化見直しの目的の一つは、まず郵貯マネーの使い方の見直しにある。この原点を忘れてはならない。また、郵便局のネットワークは既に地方・都市に広く展開されている。これを有効に活用して、郵貯マネーの使い方と合わせて地域再生の布石にしていくべきだと思う。日本郵政会社に課せられる新しい使命は広く深い多機能的なものになるであろう。我々はむしろ今後の日本郵政会社の新基軸と展開を注視すべきだ。
米国では名だたるCEOが企業再生請負人のように次から次へと渡る。そこには負のイメージはない。例えば、ルイス・ガートナー ルイス・ガースナー IBM元会長は、RJRナビスコ最高経営責任者(CEO)から崩壊の淵にあったIBMを再建するため、1993年会長兼最高経営責任者(CEO)となった。名門企業IBMで大規模なリストラを断行し、終身雇用制など企業文化そのものも根本的に変革し世界のIBMを変えた。
IBMという大企業を見事に操ったガースナー氏は、著書『巨象も踊る』の中で、こう語っている。
「大きいことはいいことだ。象が蟻より強いかどうかは、問題ではない。その象がうまく踊れるかどうかの問題である。見事なステップを踏んで踊れるのであれば、蟻はダンス・フロアから逃げ出すしかない。  本業に専念しろ。ダンスはその日のデートの相手と踊れ。」
(ここでいう蟻とはコンピュータ業界でのダウンサイジングという当時起きていたパラダイムシフトを指している。)

日本郵政会社においても国民は今回の人事を、巨大な日本郵政会社が民間企業として見事なステップを踏み、地域活性化と絡んで日本再生の礎になれるか、我々の問題として身近に考えるべきだ。
報道機関や政治家の議論が薄っぺらなのが気になる。何が問題か、問題が問題として頭をもたげる境界条件は何だ、という複眼的な視点で議論を醸し出す必要がある。自民党時代が長かったから仕方が無い面もあるが、問題の問題たる所以を掘り起こす態度が必要だ。「これまでそうだったから」という思い込みや思考停止状態から抜け出よう。幸いにも政治のプロセスの見える化(見えるようにすることの略語)、情報公開を掲げる民主党の大きな変革で、深みある議論が出来る土壌が生まれつつある。

2009年10月20日火曜日

温室ガス25%削減ー日本再生のプロジェクトー

鳩山首相が先に世界に向けて発信した2020年までの温室効果ガス排出削減目標25%(1990年比)を巡りさまざまな議論が起こっている。このことは非常に喜ばしいことである。開かれた議論こそが活性化した民主主義を育てるからだ。
その観点で自民党時代を振り返ると、どうだっただろうか。残念ながら自民党時代には首相であった安倍、福田、麻生の各氏がサミットに出席しても、前向きなチャレンジングな志向を世界に向けて発信することは無かった。どうでもいいとはいわないまでも、代わり映えのしないメッセージしか出せなかった。
それは何故か。自民党時代には頭を使う政治がなされてこなかったからだ。世界では、各国が経済的にも、軍事的にも、政治的にも凌ぎを削りあっているのに、一方日本では、ひたすらに島国根性で、内向きの村の地割と村の利害関係の調整に勢力を注いできた。この自民党政権時代の「ぬるま湯」に浸かり、何も考えずにこれまでの慣習を続けてきた怠惰があらゆる領域で日本を停滞させてきた。国家行政においても地方行政においても緊張感なきことこの上なかった。
今回の宣言は、日本がやっと永い眠りから覚めたことを世界に向けて、そして国内に向けて示したものだ。これが日本再生の一歩に繋がることを期待したい。

ただ、日本の現状を打破しようとする提案に対して、ネガティブな言論も目に付く。例えば先日の読売新聞の「地球を読む」コラムでのJR東海会長葛西氏の寄稿などが良い一例だ。
他のネガティブな言論も大体同じ基調を取っていると思う。大きく見ると次の3点だろう。
(1) 25%と言う数字が具体的な裏づけを積み上げた数字になっていない。また余裕を見た目標設定になっていない。事前国内合意が取れていない数字である。
    (勿論、反論する方も具体的な数字を積み上げて反論しているのではない、と言う論理的欠陥をさらけ出しているのであるが)

(2) 国民への経済的負担及び企業への財政的負担が大きく、景気の減速に繋がる。また排出規制基準のより低い国への企業移転や製造拠点シフトが懸念される。結果として国内雇用の縮小、国民生活の逼迫を危惧する。

(3) 1990年基準の妥当性が無い。また日本の削減目標数字が突出している。

これらの指摘を注意深く見ると共通の特徴があることに気が付く。それは、やりたくないために、机上で出来ない理由を上げ連ねると言うものだ。
どのようなプロジェクトでも高い理想とか強い願望が最初にあり、それが方向付け・目標設定を行う。もし目標がトレンドに乗っている、つまり従来の積み上げで達成できるのであれば、ブレークスルーは無くてすむ。でも得られる結果は陳腐なものになりがちである。
一方、目標が従来技術の延長上に位置しないものだとパラダイムシフトが必要になる。25%削減目標はまさにパラダイムシフト、コペルニクス的転回が必要なターゲットなのだ。当然得られる結果はエポックメーキングなものになる。
過去において難しい目標を立て、それでいて成功したプロジェクトはいくつもある。皆様々な試行・実験を通して、不屈の精神と決断力でひたすら突き進んで成功している。第30代アメリカ大統領クーリッジも「この世に不屈の精神に代わるものは何一つ無い」と言っている。
例えば今から50年近く前にケネディ大統領は人類を月に送り届け無事に地球に帰還させる計画を発表した。アポロ計画である。今と比べて、コンピュータ技術も通信技術も比較にならないほどのレベルであったはずだ。しかし計画開始から10年をまたずに計画を成し遂げた。日本では東京オリンピックから5年後の時代だった。勿論アポロ計画は、発表時点での技術のトレンドで見通せた計画ではなかったはずだし、国内合意形成をしてから発表した計画でもなかったはずだ。
更に、はるか昔の紀元前2570年ごろのクフ王のピラミッドも見てみよう。当時の技術と知恵を集めて20年ほどで完成させたと言われている。現在、最新の技術・工法をもってしても5年掛かるとの見積もりがあるのに、しかし先人達は20年で達成したのである。
つまりやる気になって不屈の精神で進んでいけば、革新的な壮大な計画でも達成できるのである。

昨今の日本の状況はと言えば、先のJR東海の会長の話にも出ているように、やれない理由をあげてやらない人間がはびこっている。これは会社でいえばまさに大企業病で、会社組織の大敵である。こんなことはJR東海の会長もご存知のはずだと思うのだが、出来ない理由作りに自らいそしむとは日本の経営者も落ちぶれたものだ。

温室効果ガス25%削減には、エネルギー浪費の削減、エネルギー効率の向上、化石エネルギーに代わる代替エネルギーの開発など、様々な技術及び政策を有機的に結び付ける施策が必要だ。この施策は地域の街づくりと関連するし、町と町を繋ぐ輸送ネットワーク網・情報ネットワーク網とも関連するし、電力パワーネットワーク網も関連する。勿論もの作り産業の構造改革にも繋がるものだ。つまり21世紀の日本の骨格を設計し直す壮大な再生基本設計になるものだと思う。
言い換えれば、温室効果ガス25%削減のプロジェクトは、国内で抱えている様々な問題、例えば硬直化した社会構造の問題、過密・過疎の問題、少子高齢化の問題、高度成長期の成長モデルに変わる成長モデルなどをトータルに取り込んだ解決策にすべきだと思う。
勿論、歴史を見れば、石炭エネルギー革命と蒸気機関の発明を成しえたイギリスがまず蒸気軍艦により世界制覇を成し遂げた。そして第二次世界大戦の頃からは石炭エネルギーに代わる石油エネルギーを用いたエンジンが主流になり、特に戦後にはジェットエンジンの開発を爆発的に推進した米国が航空機技術により世界を制覇することになった。
日本がこれから進めようとしているエネルギー革命は次世代の国際社会の覇者を決めるものになる。米国も中国も強かに開発を加速しているのが実態である。確かに石油の資源枯渇までにはあと数十年はかかると言われている。また長い年月をかけて現在までに構成されてきたエネルギー構成であるが故に、急激にしかも短期的には変われないだろう。しかし確実に石油エネルギーからのシフトは進んでいる。
政策面でもアメリカで排ガス制限の新法案が最近下院を通過した。ガス排出制限の方策を立てない国には貿易(関税)障壁を設けるというものだ。企業が排出基準のより低い国に移転するという動きに歯止めをかける措置である。よくネガティブキャンペーンに使われる、高い排ガス規制基準が国内産業の競争力を削ぐとか、国内産業が空洞化するという短絡的な議論は成り立たなくなるということだ。
また、25%という数字にしても、EUの1990年比での2020年までの削減目標は20%であり、既にEUは2005年までに4%を削減している。方や日本は2005年で7%増大している。これまでの自公政権が、温室効果ガスの削減に対して不屈の精神を持たず、戦略もなく、対応してきたためである。
温室効果ガス25%削減の道は日本の構造改革の道であり、日本再生への茨の道でもある。今回の宣言が、その戦いの宣戦布告だという気概をもって、政府は早く、25%達成に対する負の力を示しつつ、それを乗り越えて目指す21世紀の日本の骨格を提示し、国民と共に知恵と汗をかき、実験を積み重ねながら潔く進んでいって欲しい。

2009年10月8日木曜日

再生の道を誤る?自民党新体制

自民党は谷垣新総裁の下、新たなスタートを切った。先の衆議院選挙では優秀な中堅・若手が落選し、党の不良資産とも言える守旧派が比例区で復活当選している。このため、党再生のプロセスがどのように進むか非常に関心がある。

どの自民党議員も解党的出直しとか、保守層支持を取り戻す政策を訴えるとか、地方組織の建て直しなどを謳っている。個別に見れば、どれも党再生の道としてはその通りだと思う。しかし、自民党は大きな過ちを既に犯している。それは、先の総裁選で河野氏が訴えた解党的出直し策を葬り去ったことである。更にその河野氏を抑える目的で森氏が暗躍し、西村氏の立候補を働きかけたことである。不透明な派閥力学、守旧の体質・構造が実際にはまったく変えられていないのである。

自民党は抱えている問題の本質に切り込んでいけていない。一部の報道機関が先の衆議院選挙敗北の原因に、「自民党総裁や閣僚の自責点」を挙げているが、これは再生の方向を見誤らせている。自民党が抱えている問題は大きな氷山のようなもので、根っ子は、族議員と称する利権を縦にした集団と裏で党を操る黒幕に象徴される、動脈硬化した古い党の体質である。
そして氷山の一角として表に見えてきていたものの一つが、政官業の鉄のトライアングルといわれる利権構造の癒着である。国民の税金で私腹を肥やす政治をし、国民を蔑ろにしてきた自民党にNOを突きつけたのが先の衆院選挙結果なのだ。

自民党がこれから進むべき道は1955年結党以後年々硬直化していった組織のペレストロイカである。旧ソ連でも戦後40年以上続いてきた共産党組織の解体に多くの血と汗を流したが、自民党も同じように古い組織の新陳代謝を図るには大掛かりな手術が必要なはずである。
しかし、残念なことだが、これまでの自民党の動きは、
1. 衆院選挙での自民惨敗判明後すぐにスキャンダル追及の話しを口にした大島氏と町村氏が新体制に大きく影響を及ぼす構造になっている。
2. 谷垣氏は政党政治をやろうとして、政策通の加藤鉱一氏を予算委筆頭理事に内定したが、その目論見がもろくも町村氏の横槍で崩れてしまった。そしてその理事に町村氏が就いた。
3. 総裁選では過激なまでに、黒幕一掃を訴えた河野氏であったが、結局その声は取り上げられず、自民党が変わるという姿勢が潰された。
4. 次の参議院補選での公明党票取り込みのお願いをまたしてもやった。結果的には公明党の同調が得られなかったようだが、一から自民党を立て直す気骨が見られない。自民党の弱体化をもたらした3バンの麻薬から抜け出そうとする努力すらしていない。
国民不在の対応を相変わらずしている。

実は1993年の細川政権誕生で下野した際にも、党組織を再生させる良い機会があった。1980年代後半から細川政権誕生までの当時、自民党と社会党は収賄事件を起こし、政治不信が大きな社会的問題になった。国民の審判により、自民党と社会党は大きく議席を減らしたのであるが、自民党がやったことといえば、ご存知のように党組織の改革ではなく、細川氏の佐川急便グループからの借入金処理問題を政権発足の2ヶ月後の10月から徹底的に追及し、そして予算審議拒否を行なうことだけだった。勿論この問題は、細川政権崩壊後はうやむやになってしまう程度のものに過ぎなかったのだが、姑息な手練手管で政権の座にただ戻ろうとしたのだ。

また自民党は社会党とともに政治改革関連法案を否決さえした。世論を無視する暴挙を行ったのである。そして政局を混乱に落としいれ、政党政治の成長の芽を摘んでしまった。結果として無党派層が大きくなり日本の政治が停滞するという大きな痛手を負ったのだった。そのツケが今となっては大きく自民党自身に重く圧し掛かっているわけだが、勿論国民の生活も政治から置き去りになり、また日本経済の国際社会における地位の低下も甚だしく顕著になった。

こんな自民党を政権の座に復帰させたことは国民の大きな反省材料であるが、当時それに代わりうる受け皿が無かったのも事実であった。
しかし今回は違う。事前に十分に政権交代を準備した民主党がいる。そして、硬直化した危機的状況にある日本を救うために、「政権交代」という大きく舵を切る選択を国民がしたのである。是非ともこの大きなうねりを継続し日本を改革し、日本を甦らせないと本当に沈没してしまう。

しかし、今の自民党にはその危機感が見られない。今回の新体制を見る限りにおいては、またしても1994年に政権の座に戻ったのと同じ流儀を取ろうとしているかのようだ。
例えば、政治と金の関係で、収賄事件がおきているわけではないのに、鳩山首相の政治献金の処理問題を最重点に置こうとしている。政治を混乱させて予算成立を阻み民主党の足を引っ張ろうとしているかのようだ。
半年前まで景気対策が最重要だと言っていたのは何処のどいつだ。社会保障基盤の立て直しにしても、税金の無駄使いにしても大きくメスを入れなければならない状況が目の前にあるのに、やはり自民党にはこれらが見えていないようだ。

こんな自民党には参議院補欠選挙も含めて国民は「大喝」を食らわせるべきだ。国民は自民党が国民生活に密着した政策論議をしっかりと行っているか、また国民生活をよりよい方向に持って行こうとしているか監視をすべきだ。スキャンダル追求だけの混乱を意図した対応には断固として、国民は立ち向かうべきだ。それが結果的に自民党を真に立ち直らせることに繋がるのだ。そして成熟した政党政治の実現に向かって一歩前進するのだ。

「政権交代」を選んだ我々国民は覚悟を持って「政権交代」を育てる責任があると思う。