2009年7月23日木曜日

反省と言う言葉で反省が了承される不思議な自民党

自民党は不思議な党だ。
ひところ「猿でも出来る反省」というキャッチフレーズが流行ったがそれを思わず思い出させる一こまが先ごろの自民党両院議員懇談会で公開された。それは以下だ。

麻生首相が「ブレた発言で、国民に不安と不信を与えて、党の結束を乱すことになり、申し訳ない」と陳謝し、それを受けて中川元幹事長が、反省を聞いてすっきりしたと言ったとかいわないとか。つまり全面的に麻生氏の反省を受け入れ、それで全てが水に流された。

この一連のやり取りって不思議だと思いませんか。

すべてが「反省と言う言葉」の記者会見だけで終わって、問題の本質が流されてしまう程、世の中って甘いだろうか。耐震偽装、事故米偽装などなど国民に不安と不信を与えた事件に対して、「不安を与えて済みません」とだけ言って許される話だろうか。

世の中の常識では、許される話ではない。だけど自民党では許される。

麻生首相の反省の対象になる内容は、指導力の欠如という個人的なレベルにとどまらず、日本の内外に麻生政権の政治レベルの低さとそれを許す国民の政治レベルの低さをアピールしたと言う、国益に関わる問題なのだ。

何故発言がブレているのか?ここに踏み込まずして、何が反省なのか。そして、問題の本質を追求するという姿勢の無い自民党の姿は、とどのつまりの中川氏の言動に集約されている。そしてこれはとりもなおさず、安倍、福田両首相を圧倒的多数で選出しておきながら、1年で政権放棄をした両氏の問題を総括してこなかった自民党の本質にしっかりと繋がっているのが見て取れるのだ。

このようないい加減な政治を許すことなく、我々国民は政党政治を力強いものに育てていく責任がある。誰のために政治をするのかと言う原点を忘れて、権力に胡坐をかく議員が多すぎる。今回の衆院選挙はまさに、政治の原点に戻るための選挙だと思う。

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