2009年8月17日月曜日

自民党政治歴史検証

2009年衆院選挙に向けて争点作りがマスコミでは賑やかになっている。そのこと自体は歓迎すべきことなのですが、マニフェストの個別項目の比較で争点を作っていくやり方は「木を見て森を見ず」になる危険性があり、注意が必要です。ミクロな政策論争の前に、今後目指すべき国の姿と方向をまず議論することが必須です。そのためにはマクロな歴史認識で過去を振り返り、当時日本が直面した状況・問題と今の状況・問題とを比較する必要があります。このことにより、渦中にあっては見えにくい今後の事態の展開、問題解決の糸口を得ることが可能になります。

では今の日本を歴史の流れの中で見ることにします。
近代史では政治システムが大きく変わった時が2度有りました。第一が1868年の明治維新で、第二が1945年の第二次世界大戦敗戦のときです。この間の77年の間に急速な近代化革命が進みました。長い徳川幕藩体制がもたらした閉塞した社会、国民の自由を拘束してきた社会、世界の動きに対応できない政治システムに終止符を打ち、そして経済面でも国民の活性化により大きく成長しました。
しかし、本来の民主主義が育っておらず、政治家の汚職事件で双方の政党が非難合戦を繰り返すうちに「政党政治の崩壊」に至りました。政治不在、そして追い討ちをかける検察官僚の暴走による偽造の汚職事件デッチ上げで、日本の民主主義は息の根を止められ、次第に日本国家という組織が硬直化し、国民不在の軍官僚組織が国を動かし始めていきました。旧日本軍青年将校が暴走した5・15事件は明治維新から64年目に起きました。そして第二次世界大戦への開戦と敗戦へと突き進んだのでした。

第二の第二次世界大戦敗戦では、これを契機に全体主義的政治構造からの改革、国民主権の導入と、財閥解体、農地改革などの経済の民主化も進みました。因習的な経営層を排除し、若手抜擢を進めたこともあり、高度経済成長を遂げました。

しかし、戦後から64年経った2009年現在はどうかと言うと、明治維新から60年以上を経たときに経験した、政治の不在という状況が、同じように現れてきています。政治の不在が起きると、当然ですが国の経営には一時の休みも許されないので、官僚に実質権限を取る口実を与えます。そして、
(1) 戦前、政治家が軍官僚をコントロールできなかったように、今の自民党・公明党政権は官僚をコントロールできていません。それどころか、政策作り全てを官僚に任せています
(2) 国民不在の軍官僚組織が国を動かし始めたのと同じように、今の自民党・公明党政権の下で国民不在の官僚政治が進行しています。
その結果、
(1) 人間を人間と見ないで使い捨てる、効率化のみしか考えない「特攻」があみ出されたのと同じように、最近の派遣社員の使い捨て、団塊の世代に代表される高度経済成長を牽引した「企業戦士」の使い捨てなど、効率化のみを求めた施策が展開されてきています。
(2) また、縦割り行政、隠蔽と組織の保身体質、責任所在の曖昧さ、場の雰囲気に流される沈黙などの硬直化した組織の弊害を政治が破ることが出来ないため、官僚制が合理的なものになっていません。

政治の貧困と硬直化した官僚組織がもたらす問題には、経済の問題も大きなものとしてあります。この10年、はっきりと経済力に陰りが現れています。高度経済成長期が踊り場に達してからは産業構造を変える「構造改革」が必要なのですが、それには手を付けず円安誘導で外需依存の古い産業構造を温存して来ました。そして自民党はただ十年一日の如く「経済成長路線」という言葉だけを力説するだけです。この路線が実質的にどのように経済力に影響を与えてきたか、その実態は国民によく知らされていません。国民の生活レベルに関連する、国民一人当たりの名目GDP(国内総生産)はOECD(経済協力開発機構)加盟国30カ国の中、1994年の2位、2000年の3位まではそれなりの位置にありましたが、2000年以降ランキングは下落の一歩をたどり、2006年18位、2007年23位です。この時期は小泉政権以降の時期に対応しています。国民一人ひとりの生活実感でも、給与の削減、雇用の喪失などに曝されてきており、年々レベルダウンだと思います。そして格差の拡大を感じています。

勿論、世界経済に占める名目GDP総額割合でも2006年9.1%、2009年に8.1%の見通しで、1994年の17.9%と比較すると半分以下となっています。世界経済の中で、日本経済の存在感の低下・地盤沈下は鮮明となっています。

ところが、1年前までは過去最高の収益を塗り替えるという「いざなみ景気」拡大などの文字が新聞紙面を賑わしていました。ご存知のように利益を上げていたのは外需依存の輸出型大企業であり、またマネー資本主義の恩恵に与った金融業界でした。そして勤労国民への還元はなく、国民一人当たりの名目GDPの数字以上に、働けど貧しくなるという「負の歯車に巻き込まれていく」状況が生まれてきています。

そして、この延長上で、昨年秋葉原での通り魔事件は起きました。やり場の無い叫びを上げている個人を巨大な組織が押し潰した瞬間に絶望のマグマが爆発したものだと思います。政府の対応は歩行者天国廃止や銃刀法改正など安全・治安の確保のものだけでした。問題の本質である個人個人の生活が破壊される現場の姿を見ようとはせず作戦を立てるようなもので、官僚的以外の何物でもありません。現場を見ない作戦は太平洋戦争でもあり、そして失敗しました。

このまま、政治の不在を放置すると、戦前経験したように、「巨大な官僚組織あって国家なし」という国民不在の組織に発展していかないと誰が断言できるでしょうか。成熟した民主主義による政党政治により議会政治は新陳代謝をすべきです。また政権交代による政党主導の政治体制を進める過程で成熟した民主主義体制へと脱皮していくべきです。

戦後64年間日本の政治を支配してきたのは自民党です。一時期、非自民の政権も誕生しましたが、自民党は世論に謙虚に耳を傾け新陳代謝を図るということはせず、政権復帰を最優先にして体質を変えないまま政権の座に戻り、その後はご存知のように「選挙の票頼みの、公明党連立」でどんどん政治の質の劣化を加速してきました。
再度自民党政権の体質をまとめると、
(1) 官僚任せの政策作り
(2) 選挙票頼みの公明党との数字合わせの連立
(3) 世襲議員の占める割合の多さ
(4) 経団連企業からの献金頼み(自民党:約29億、民主党:約8000万)
(5) 世論無視で政権に恋々と居座り。安倍・福田・麻生首相と毎年のように首を変えるが小泉政権以降の総括も無ければ、憲法第1条で定める「国民主権」も踏みにじる無法者。国民の声に耳遠い、
です。

この自民党は、戦後の対共産圏冷戦構造の防波堤として、米国世界戦略の中でスタートしました。1980年代後半には東西冷戦も終焉し、世界的には脱イデオロギーの政治システムに移行して行きましたが、自民党は昔の55年体制の考え方から抜け出ていません。経済面では官僚の引いた戦後復興の高度成長路線のレールに乗って基盤を固めました。しかし高度成長期も踊り場を迎え、新たなレール作りが必要になりましたが、その歴史的転換に追随できずに、今に至っています。この新陳代謝の出来ない自民党の歴史的賞味期限はすでに切れています。

今こそ日本を再生させる「第三の波」を起こす時です。真に成熟した民主主義を根付かせ、国民の持てる力をオーケストラし、次世代に繋がる日本にする一歩とすべきときです。2009年総選挙はそういう選挙です。

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