2009年8月21日金曜日

自民党政治の劣化と公明党の役割 -第二幕-

歴史的な考察も交えて「政治の再生」が急務であることを、これまで度々主張させていただきました。2009年衆院選挙は「政治の再生」へ大きく舵を切るか、それとも既に機能不全に陥っている政治の仕組み、経済の仕組み、地域社会の仕組みが続くのを甘んじて受けるか、大きな選択の選挙です。
振り子は戻る範囲を越えたら戻りません。組織は硬直化したら、元に戻るチャンスを失います。そのことは今から約70年前に政治不在の故に軍官僚の暴走を止められなかったという事実が証明しています。

さて先日、戦後の自民党政治の劣化を分析し、掲題の小論を述べさせて頂きました。その中で、原因として下記を指摘しました。
(1) 世襲議員が多くを占め、地盤・看板・鞄の苦労も無く、政治の理念も希薄
(2) 選挙票頼みの公明党との数字合わせの連立で政治の原点が見えなくなっている

今日は第二幕で、更に深く、劣化の問題の本質に迫って見たいと思います。
問題の全貌が開ける糸口は「公明党」にありました。

代々続く選挙区から出馬する世襲議員は、三バンと言う言葉で表される地盤(後援会)・看板(知名度)・鞄(資金)を何の苦労もなく受け継ぎます。そして、実は公明党議員も、世襲というスタイルこそ取っていませんが、創価学会という組織に乗っかって、堅固な地盤(抜け落ちることのない票数)、ビラを貼らなくても組織内で知れ渡る知名度、そして潤沢な資金を保証されたところからスタートしているのです。

皆さん、両者が非常に類似していると思いませんか。組織の堅固さがあるが故に三バンに匹敵していると思うのは、思い過ごしでしょうか。自民党も公明党の三バンに期待しているからこそ、連立を組んでいます。

この視点に立つと、政治の劣化の本質は、政治の原点である「国民に向き合い、国民の声に耳を傾け、国民の目線で、国民主権の政治」を行わなくても議員の職に就けるという仕組みにあることが分かってきました。だからこそ、世論を無視してこの4年間、政権の座に恋々とできたのです。もし彼らがこれからも政治家として生きて行きたいのなら、三バンあるいはそれに類する仕組みをリセットして出直すべきです。それが自らできないのであれば国民が教えてあげる必要があると思います。

成熟した民主主義では自らの意思と責任に基づき、「NO」も言える、「YES」も言う行動が必要です。これは多様の個人主義を孕んだものです。しかし、この10年間の自公政権の足跡はどうだったでしょうか。特にこの4年間、2/3の多数の暴挙で政治不在を加速してきただけでした。残念なことですが。

国民の皆様も「政治の再生」に向けて是非、動いていきましょう。

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